第17話 悪魔の出現

少女スジャーターが差し出した乳粥を口にしたおかげで、シッダールタは体力が回復し、尼連禅河で沐浴して身体を清めた後、気持ち新たに菩提樹の下に座って瞑想に入りました。

そこへ悪魔マーラが修行の邪魔をしにやってきます。マーラは禅定に入るシッダールタに対し、様々な獣を出現させ、武器を持って攻め、修行を中断させようとします。また大きな毒蛇が炎を吐きながらシッダールタに襲い掛かります。こうしてシッダールタに恐怖と不安をふきこみ、さらには艶かしい姿の娘が彼を誘惑します。

ところがシッダールタの眼にはひとつの曇りもなく、表情を崩さず一点を見つめ、心を動じさせることもなく、魔物たちを降伏させていきます。そしてついにはマーラも意気消沈して退散していきました。

そのころ、どこからか竪琴の美しい音が聞こえてきました。物語では神々の帝王インドラが奏でていると綴っています。
その音色はとても心地よく、シッダールタの心に響き染みわたっていきます。

竪琴は、一本一本の弦から音がはじきだされる楽器ですが、もしこの弦が強く張りすぎていると、キンキンと耳障りな音になってしまいます。かといって弦が緩すぎても、良い音にはならないのです。
強すぎず、弱すぎず、程よい力加減で張られた弦によって美しい音色を響かせることができるのです。

思えばシッダールタは、出家前の何ひとつ不自由のない生活でも心が満たされませんでした。そして生死をさ迷うような苦行をしても、心に平安を得られませんでした。この両極端に身をおいていた自身に、竪琴の音を重ねていたのかもしれません。
物理的な快楽は緩すぎた弦、極端な苦行は強く張りすぎた弦のようなものなのです。

こうしてシッダールタは、何事も極端に行うのはよくないという「中道(ちゅうどう)」という考えに至ります。つまり偏見や執着など、極端なものの考え方かある限り、心の闇が晴れることはないということに考え至ったのです。


第18話 お悟り~成道~

悪魔マーラを降参させたことを「降魔(ごうま)」といいます。

マーラがシッダールタに与えたのは恐怖であり誘惑であり、これらは「迷い」や「欲」を象徴しています。しかしシッダールタはそれらに動じることなく、菩提樹の下で静かに瞑想に耽ります。

不自由を知らなかった城での生活も、道を求めて身を苛んだ日々も、シッダールタにとって客観的に見えていなかった誤った状態でした。それが、静かな瞑想に入ることで、ありありとこれまでの自分が見えてきたのです。そして最後は降魔を体験し、成道へと進むことを伝承は物語っています。

シッダールタが悟りを開いたとされるのは、インド東部ビハール州のブッダガヤーという所で、現在は仏跡としてマハーボーディ寺院(大菩提寺)というお寺が建っており、世界中の信者や観光客が訪れています。そしてこのお寺のそばに、シッダールタが瞑想した菩提樹があります。

29歳の出家から6年の歳月が経ちました。シッダールタは菩提樹の下でダルマに目覚めます。

ダルマとは「法」と訳され、わたしたちの社会における規則や習慣も「法」と捉えることができますし、広くは自然界の法則そのものともいえます。たとえば太陽が東から西へわたり夜が訪れる、こういった理法もダルマなのです。

シッダールタは、万物に実体はなく、お互いに関係し合いながら常に変化しているという「ものごとのあり方」を知ったのです。

仏教の代表的な教えに「諸法無我」「諸行無常」「一切皆苦」という言葉があります。

諸法無我は、自分中心にものごとを見るのではなく、「すべてのものは私に帰せられない」という見方によって、正しく世界を見ることです。

「我がまま」を認めず、「自分中心」に見ることを無くす、という意味です。

諸行無常については、すべての形あるものは変化して「うつりゆくもの」であると説かれています。

一切皆苦については、「私」に固執するが故に、すべてのものを「私の思い通り」にしようとしますが、実際はそうはいきません。「私」は無く(無我)、すべてはうつりゆくもの(無常)であるにも関わらず、それを知らないでいると、結局すべてが「私」に背くものとして現れ「苦しみ」(皆苦)となってしまうのです。

こうしたダルマに目覚めたシッダールタは、欲から離れ煩悩を断ち、ついにブッダ(仏陀)となりました。

ブッダとは悟りを得た人のことで、「シャーキャ族出身の悟れる尊いお方」という意味で、シッダールタは釈迦牟尼世尊、釈迦牟尼仏と呼ばれます。私たちが親しみを込めて「お釈迦さま」と呼んでいる仏様が誕生したのです。御歳35歳の時でした。

以後、シッダールタのことを釈尊とし、物語を続けてまいります。


第19話 神の出現

成道つまり悟りを得られた後、釈尊は別の場所に移動し、七日間は静かに坐したままで、その場を動こうとされませんでした。さらに別のところでも七日間、瞑想のまま時を過ごしたと伝えられます。
この時、雨が降りはじめたので、ムチャリンダという龍王が現れ、釈尊の周りにトグロを巻き、雨から守ったとされます。
龍は仏法を護る神で、インドでは天候、豊穣を願う守り神としても信仰を集めています。

こうして釈尊は七日おきに移動するものの、自身が悟った内容を誰かに伝えることもなく、悟りの悦びをかみしめていました。
その期間、五週間(三十五日)とも七週間(四十九日)ともいわれています。

一説によりますと、私たちが耳にする四十九日(中陰)の由縁はここからきたともされます。
中陰というと、死者が次の世界に転生するまでの期間ですが、釈尊は死んだわけではありません。
ある文献によりますと、成道の折にも悪魔が現れ、釈尊に入滅、つまりそのまま息を引き取ることを勧めたとあります。たしかに心の中あるいは苦から脱するために「我」という自己欲を離れ、あとは厭うべき肉体に終止符をうてば、永遠の解放を得ることになります。しかし釈尊は悪魔の勧めを受け入れることなく、悟りの境地をただただ楽しんでおられました。それが四十九日間であったといわれているのです。

そして初めは、世の人々というのは、生きるために自己を主体とし、また自己に固執して生きているので、自分の悟りの内容を伝えても人々は理解しないであろうと思っていました。そんな釈尊の心の中を知ったブラフマンが現れます。ブラフマンは世界の主であり最高神です。この神を梵天と訳しています。

梵天は釈尊に呼びかけます。

「ブッダよ。そなたが目覚めたダルマ(法)を人々のために説かれよ」

梵天は人々に教えを説くことをお勧めになられたのです。しかし釈尊は、

「人々に悟りの真理は理解できません」

と拒絶します。
梵天は再度要請しますが、釈尊はやはり人に説けば、かえって人々の心を惑わすことになるかもしれないとして断ります。


さらに梵天は要請し、三回目にして釈尊はブッダの眼を見開き、世の中を観察しました。
そこには様々な人々が生活しています。無気力な人、何気に悪いことをしてしまう人、罪深い人など、まさに泥沼のような人生を歩んでいる人がたくさんいることを見出したですが、しかし蓮のように、泥の中にあっても綺麗な花を咲かせることはできます。花を咲かせる決意を固めた釈尊は、梵天の三度の要請により、伝道の旅に出ることを決心しました。

この話は梵天が釈尊に法を説くことを願ったという意味で、「梵天勧請(ぼんてんかんじょう)」と呼ばれ、仏教の長い歴史の中で親しまれてきました。