3 マハーカッサパ

頭陀行第一のマハーカッサパ尊者

頭陀行の「頭陀・ずだ」とは「はらいのける」という意味になります。 簡単に言えば、「衣食住」にとらわれない生き方、ということになりますでしょうか。  私達は、ともすれば、着るものにこだわり、美味しいものは食べたい、 快適な暮らしをしたい、とこだわるものですが、マハーカッサパ尊者は、 このこだわりをなくすことにいちばんすぐれた弟子なのです。

マハーカッサパには、こういうお話が残されています。  尊者は、北部インドのマガダ国はラージャガハ(王舎城)近くの村に、 バラモンの子として生まれました。8歳でバラモンの教えを全て理解して、さらに勉強したいと出家を望むのですが、家をついでほしい両親はそれを許してくれません。

そこで尊者は、工芸人に金の美女像をつくらせて、 「この像とそっくりな女性がこの世にいたら、ぼくはこの女性と結婚するよ」と両親に言いました。 そうすれば両親もあきらめるかと思いきや、四方八方手を尽くして探し、とうとう像とそっくりな美女を見つけてしまったのです。

そういうわけで、彼はその女性と結婚することになるのですが、なんと、実は彼女も出家することを望んでいて(尼僧になること)、お互いが同じ希望を持っていることがわかり、二人は子供をもうけずに 12年間いっしょに生活を送るのです。  やがて尊者の両親がなくなったあと、二人は皆の反対をおしきって、髪を切り、ともに出家をしました。

尊者は右へ、彼女は左へ道を歩み、それぞれに別れました。 尊者が道を歩いていると、途中、二グローダの樹(ベンガル菩提樹)の下で静かに座っていらしたおしゃかさまと出会い、カッサパと名前をあらためて、おしゃかさまの弟子になったのです。
ちなみに、マハーとは「大きい」という意味で、おしゃかさまの弟子には同じ名前の方が何人かいましたので、特に秀でた人・偉大な人という意味で、マハーカッサパと呼ばれるようになったのです。
先に話したサーリプッタやモッガラーナにくらべれば、マハーカッサパは、どちらかといえば地味で、気むずかしがりやでしたが、その存在が輝きをはなつ日がやってきます。 いつもは、縁の下で支えていた人がその才能を開花させたというのでしょうか。 それは、おしゃかさまが亡くなったときでした。

クシナーラーでお亡くなりになったおしゃかさまを、荼毘にするために、その棺に弟子たちが火をつけるのですが、なかなか火がつきません。
そうした中、やっとマハーカッサパが仲間の500人とともに到着しました。
そして、マハーカッサパがおしゃかさまを拝したあと、不思議な事に、今までつかなかった火が、パッと燃え上がったのです。
話は元に戻りますが、おしゃかさまの後を追ってクシナーラへ向かっていたマハーカッサパと500人の一行ですが、道中、一人の出家者と出会い、一行の中の一人が彼に尋ねます。
「わたしどもの師、ブッダ・ゴータマ(おしゃかさま)を見ただろうか?」  「おお、かの偉大なる師なら、お亡くなりになりましたぞ。私もいま、その遺体を拝んできたところです。これがそのときの花です」 と、手に持っていた花を見せたのです。
突然の哀しみが、マハーカッサパと仲間達を襲いました。ところが、皆が涙しているそのときに、こんなことを言う者がいました。
「いやいや、やっと我々は口うるさい師から自由になったのだ。師は、これをやってはいけない、あれもやってはいけない、と、ことあるごとに我々をしばりつけてきた。我々は今、その師から自由になったのだ」
これを聞いたマハーカッサパは、心中穏やかではなかったでしょうが、その発言をした仲間を叱ることはしませんでした。むしろ、今後、同じような者が増えて、おしゃかさまの教えが消えてしまうことを心配したのです。そして、マハーカッサパは、「よし、悟りをひらいた長老たちをあつめて、師の教えを後の世に残すための集会をしよう」と、強く心に決めたのです。
そうして、おしゃかさまが亡くなられて三ヶ月が過ぎた頃、マハーカッサパは、マガダ国の首都ラージャガハに近い、山の中腹にある、七葉窟(しちようくつ)という寺院で、500人の悟りをえた長老達をあつめて、おしゃかさまの教えと戒律を残すための大集会を開きました。  これが後の世に言う「第一結集(だいいちけつじゅう)」です。
伝承によれば、ずっとおしゃかさまのそばについていてお話を聞いていたアーナンダ尊者は、まだ悟りをえていなくて、マハーカッサパに寺の入り口で追い返されたのですが、会議の始まる日の前の夜に、やっと悟りをえることが出来て、阿羅漢果(あらかんか)という位に達して、アーナンダは参加できる資格をえたそうです。

そうして会議がはじまり、司会進行はマハーカッサパが、おしゃかさまの教えは多聞第一(たもんだいいち)のアーナンダが代表となり、教団の決まりごとの戒律は、持律第一のウパーリが代表して、誦出者(しょうしゅつしゃ・教団の代表として教わったことを皆の前で語る役)となり会議は進められました。

マハーカッサパ 「ここに集いたるサンガ(お坊さんの仲間たち)よ、わが言うことを聞きたまえ。先に、大尊師、ブッダ・ゴータマは亡くなられた。我々は師の教えと、その戒律とを、ただしく教団に徹底させ、そして、後世に遺すべきだと思い、今日この大集会を開くことになった。まずは、ここにいる、師の従者として永きに勤め、教えを耳にしてきた、友アーナンダに、師の説かれた教えについて問いたい」
アーナンダ、立ち上がり、 「ここに集いたるサンガよ、私は師の教えについて、友マハーカッサパの問いに答えるであろう」
マハーカッサパ 「友アーナンダよ、尊師ブッダの最初の説法はいずこにおいておこなわれたのか?」    長
老たちは、静かに二人の声に耳をすませていました。
アーナンダ 「私はかように聞いた、師ブッダは、バーラーナシーの、イシパダナ・ミガダーヤの地にましまして・・・」
哀しみを懸命にこらえて、アーナンダが答えると、そこにいた長老たちからも、嗚咽や泣き声、中にはその場にひれ伏す者もいました。
こうして、いま私たちのもとに遺っている仏教の経典の源は、マハーカッサパの呼びかけによるこの第一結集に始まり、文字があらわれるまでは、長老たちの記憶によって仏教は伝えられていき、いま、私達が有り難くおしゃかさまの教えを聞けるのは、この時のマハーカッサパ尊者のおかげなのです。