第14話 修行のはじまり

不自由を知らない生活に恵まれ、周囲の寵愛をうけ、文武両道の教育を身につけ、将来は一国を背負う王となるべきはずのシッダールタが、そもそも出家までして求めていたのは何だったのでしょうか。

王子には王子としての、あるいは一人の人間としての苦悩が、表面的にみられる満足感ある生活の裏で、内面的に彼を苦しめていたのかもしれません。

そうした彼の心境が、聖なる道を求めるきっかけとなり、出家に及んだのでしょう。

お伴のチャンダカと愛馬カンタカを城へ戻し、シッダールタはいよいよ独りになりました。

身につけていた衣装は、装飾品を全て取り除いたとはいえ、まだ純白の綺麗な絹の服を着ていました。
なのでまずは修行者らしい格好になることを求めました。

出家というのは本来何も所有しないとされます。
そして修行者が身につける服は、使い捨てられた布切れで作られたもの、つまり糞掃衣(ふんぞうえ)を理想とし、持ち物は食物をうけるための鉢ひとつだけなのです。

たまたまシッダールタの近くを、修行者の姿をした人が通りかかりました。
彼は猟師でした。なぜ猟師が修行者の格好をしていたのでしょうか。
早速シッダールタは自分が着ている服と、猟師が身につけていた修行者の服を交換してもらうよう頼みました。
「あなたは猟師なのにそのような服では相応しくありません。わたしもまた修行の身であるのに、この服は相応しくありません。あなたの服とわたしの服を交換してもらえないでしょうか」
すると猟師は、
「修行者の服は獣たちが安心して近づいてくるから都合がよいのです。しかしお見受けするところ、あなたは真の修行者と拝見しました。お望みならばわたしの服とお取替えいたしましょう」
と言って、交換されたのです。

実はこの猟師、ある一人の神が変身し、シッダールタが聖者の道を究められるよう、彼を後押しするために現れたものとして伝えられています。


第15話 苦行

住み慣れたシャーキャ族の地を出たシッダールタは、南へ南へと歩き進みました。

彼が目指したのは、マガダ国の王舎城(おうしゃじょう)という、当時のインド最大の都で、その国の王、ビンビサーラ王は、行政や財政を改革し、外交も盛んに行なうなど、マガダ国を発展させていきました。また文化の中心地でもあり、様々な教えを説く指導者が集まっているところでもあったのです。

ある日、王はシッダールタの姿を見て以来、一目おくようになり、シッダールタがブッダになった後も彼をサポートするようになりました。
しかし後には、シッダールタの従兄弟ダイバダッタ(第6話参照)による陰謀で、王が殺害されてしまうという悲劇がおきます。
(これについては、このサイトのトップページから「お経を読もう」を選択し、『佛説観無量寿経』のなかで、一連のストーリーをご覧いただくことができます)

シッダールタは修行の旅で二人の指導者に会い、それぞれに弟子入りをしています。しかし彼らが説く教えを一週間ほどでマスターし、さらなるものを求めて二人のもとを去り求道を続けます。

ガンジス川の支流のひとつに尼連禅河(にれんぜんが)という川があります。そして川の上流には静かな美しい村がありました。その村に程なく近い林を修行の場と決めて、林の中へ入っていきました。

この場所は既に五人の修行者がいて、あたかもシッダールタを待っていたかの如くすぐに仲間となり、まさしく苦行といわれる大変厳しい修行の日々をともに励むことになります。

たとえば断食の行であったり、直立不動の行であったり、イバラの上に座り続けたり、長時間逆立ちをするなど、日常生活を否定して「苦」から逃れようとするもので、これらの修行法が盛んに行われていたのでした。

シッダールタは、まず足を組んで座り、息を整えて瞑想することから始めました。
インドで広く行われてきたこの方法こそが、現在ブームとなっているヨガのルーツです。

瞑想によって息をとめ、口や鼻を閉じ、さらには耳の穴まで閉じるなどして、シッダールタは頭がわれるように痛み、身体は引き裂かれるような苦痛に見舞われます。

このような状態のシッダールタの姿は、誰が見ても命が続かないものとして映ったことでしょう。
そして、一日にナツメの実ひとつしか食べない断食行も続け、日に日にシッダールタの身体は痩せ衰えていきました。


第16話 苦行の中止

断食というのは想像以上につらいものであろうと思います。私たちは食事を摂っても数時間後にはまた空腹になる、この繰り返しの中を生きています。
仮に丸一日食事をしなくても、お腹が空いたという感情くらいのものでしょうが、断食行というのは毎日のことですから過酷なもので、肉体的のみならず精神的にも苦痛を伴うことになります。

シッダールタはお城で生活している時は不自由なく暮らしていましたから、食べるものにも困ることはなかったでしょう。しかし今は断食という過酷な行をしている身。言わば快楽から苦行の生活へと、まったく正反対の境遇にいることになります。

伝記によりますと、城を出て出家をしたのが29歳とされており、以来6年もの間、修行生活が続いたとされています。

シッダールタの身体は、肋骨や血管が浮き出て、お腹と背中が実際にくっついてしまうほど痩せ衰えていきました。

当然力は入らなくなり、命が危ぶまれる状態になります。こうして極限まで自身の身体を追い込んでも何も得られず、ただ体力を消耗するばかりの現状に、しだいに疑念さえ感じるようになったシッダールタは、ついに苦行をやめる決断をしました。

お城の中での快楽の生活でも、また苦行にしても心に満足を得られず、果てには、歩くことさえままならなくなったシッダールタは、まず体力を回復させることにしました。

ある時、その弱々しい姿のシッダールタを、たまたま通りかかった少女が見て乳粥を差し出します。
生気を失ったシッダールタを哀れんだのか、或いは修行者に供養したつもりだったのでしょうか。

インドでは神話の中でも、神が苦行で命を落としかけているとき、牛乳を飲んで蘇るという場面があるようですが、シッダールタもまた、この乳粥を口にし体力を回復させたとされています。

しかしこれを見ていた五人の修行仲間は、苦行をやめたシッダールタを軽蔑し、彼のもとを去っていってしまいました。

さて、乳粥を差し出した少女ですが、一般的にはスジャーターという名前で伝えられています。
どこかで聞いたことのある名前ですね。コーヒー好きの方ならピンとくるはずです。

体力を回復させたシッダールタは、ブッダガヤー(現在のインド東部に位置します)の菩提樹の下に座り、再び瞑想に入ります。