第10話 四門出遊 ~東と南~

あいも変わらず心を閉ざしていたシッダールタ。もしかしたら、今でいう鬱の状態にあったのかもしれません。

そんな王子を案じて浄飯王は、彼を城の外へ出し散策をさせます。少しでも気分が晴れてほしいという計らいなのでしょう。
これは後に、シッダールタが出家をする動機として語られる「四門出遊」(しもんしゅつゆう)という説話となり知られています。

お城には四つの門がありました。
シッダールタは家来をお伴につけ、まず東の門から出掛けました。
すると、力なさげに杖をついて歩いている人に会います。
お伴に「あの者は何者であるか?」と尋ねますと、お伴は「あの者は老人でございます。すべての人間は生きている限り、老いの苦しみを免れないのです。誰しもがあのように老いてゆくのです」と答えます。

シッダールタはしばし考え込み、散策どころかお城へ帰ってしまいます。

暫くして今度は南の門から出掛けました。
すると道端に、苦しそうに座り込んでいる人を見かけます。
お伴に「あの者は何者であるか?」と尋ねますと、お伴は「あの者は病人でございます。すべての人間は生きている限り、病の苦しみを免れないのです。誰しもがあのようにいつかは病にかかるのです」と答えます。

シッダールタは再びお城へ帰ってしまいます。

シッダールタは何を感じたのでしょうか。
幼少期からの体験で、命について考えることが多く、心を閉ざしがちであるものの、青年となって跡継ぎまでいる、いい年をしたシッダールタが、老いることや病になることを初めて知ったわけではないでしょう。

もしかしたら、お城の中で彼が心を閉ざす原因となった出来事に、お城の外で目の当たりにした現実が重なり、シッダールタの心に深く刻まれたのかもしれません。

或いは、不自由のない生活とは違う厳しい現実に直面し、目の前の真実に戸惑ったのかもしれません。

さらに暫くして、シッダールタは東と南の門を避け、西の門から出掛けられます。


第11話 四門出遊 ~西と北~

シッダールタの出家の動機とされる四門出遊の伝説。
この話には神々の介入があったという言い伝えもあります。もともと心を閉ざしがちである王子が遠出を楽しめるようにとの父浄飯王のはからいで、老人や病人を王子の目の届くところに出してはいけないとお触れが出ていたというのです。
美しいもので覆われた光景しか見せてはならぬという、子への配慮であったのかもしれません。
しかしその様子をご覧になっていた神々が「今こそ王子に真実を見せ決断させる時だ」と、シッダールタの人生に働きかけ、老人や病人を出現させたというのです。

東と南の門それぞれにおいて老人と病人の姿を見て、暗い表情で城へ帰ったシッダールタは、今度は西の門から出かけます。
前述の説で考えるならば、当然ここでも浄飯王は、王子に楽園のような光景を見せるために、あらゆる楽しみを用意させていたでしょう。

しかしシッダールタが目にしたのは、横たわり動くことのない人の姿でした。

お伴に問いかけます。
「あれは何者であるか」
「あれは死人でございます。命をなくした者です。すべての人間は生まれてきて、生きている限り、死を免れることはできないのです」

老いることも病にかかることも、そして死んでしまうことも避けては通れないことを知ったシッダールタは、一層心が沈んでしまいます。

一説によると、この時ヤショーダラー妃がラーフラを出産したとも伝えられており、子の誕生を知ったシッダールタが「我が子よ。お前はどうして生まれたのか。お前もまた老いと病と死の道を歩むことになるのか」と嘆いたとも言われています。

最後にシッダールタは北の門から出かけます。そこで見たものは、イキイキとした修行者の姿でした。

お伴に尋ねます。
「あれは何者であるか」
「彼は修行者です」
「なぜあのように穏やかでいられるのか」
「老いや病や死の苦しみなど、あらゆる苦しみから解放される道を求めて修行しているからです」

この出会いが、シッダールタのその後の人生に大きく影響を与えたといっても過言ではありません。

城の中の生活のように、娯楽が快楽を招く世界とはかけ離れた聖なる道を極めることこそ、私が本当に求めていたものかもしれない、とシッダールタは思い立ち、ついに城を出る決意をしたのです。それはもはやヤショーダラー妃やラーフラ、そして父である浄飯王との決別をも意味していました。


第12話 出家の決意

東の門から出て老人に会い、南の門では病人、西の門では死人に遭遇したことで、城の中でどんなに恵まれた生活をしていても、生きている限り、老病死を避けられないという事実を思い知らされ、心が折れそうなシッダールタでしたが、北の門を出て凛とした修行者を見てから、彼の心は大きく変化します。

お伴の話によると、修行者はあらゆる苦しみから解放される道を求めて洞窟や林の中で生活し、一日に生きるための最小限の糧しか求めないため、「もっと欲しい」と思い悩むことはないといいます。

あらゆる物を与えられ、父王を始めとし、多くの慈しみの中で不自由なく暮らしてきた城の中での生活とは真逆の生活に、聖なる道を見出したシッダールタは、ついに城を出る決意をしました。
これは俗にいう家出とは異なります。道を求めて、自ら修行者となることを望んだことですので、家出より遥かに志高い「出家」ということになります。

寝室ではヤショーダラー妃が幼いラーフラを優しく抱いて眠っています。
シッダールタは起こさないように静かに別れを告げます。
シッダールタも人の子、そして今や人の親でもあります。決意とは裏腹に辛い気持ちもあったに違いありません。
それでもなお出家を選んだことが、覚悟の強さを表しているようにも思えます。

いよいよ城を出る時がやってきました。


第13話 出家

お城の中のシッダールタは常に人に囲まれた生活をしていました。
父浄飯王をはじめ、ヤショーダラー妃、息子のラーフラ。さらに城の中の多くの人たち。

またシッダールタがこよなく愛した白馬がいました。名前をカンタカといいます。

出家を決意し城を出る時は、チャンダカという従者一人を連れ、カンタカにまたがり城門を出ていきました。

チャンダカの心は複雑だったことでしょう。なぜなら父王も、実母の代わりを果たしてきた叔母さんも、シッダールタに対しては大きな慈しみをもってお育てになられたはず。まして赤子を抱いたヤショーダラー妃のことなども考えると、王子が城を出ていくことが、どれほどの悲しみを城の中にもたらせるか、ずっとシッダールタのそばにいたチャンダカなら想像がつきます。

王子を乗せたカンタカが歩きだすと、忽然と夜叉があらわれ、馬の足を持ち上げたため、ヒヅメの音がしなかったといいます。さらに何重もの厳重な城の扉も、シッダールタが進むごとに、ひとりでに開き、音をたてることなく、城の人々に気付かれずに、城外へ出ることができたと伝えられています。
まるで神々が、シッダールタの出家を後押ししているかのようです。

こうして外へ出ると、チャンダカとともに、空を翔けるようにカンタカを走らせ、城から離れていきました。

どれくらい走ったでしょうか。お城からかなり遠く離れたでしょう。
シッダールタは馬からおりて、それまで王子として身につけていた宝飾品をすべて外し、チャンダカに預け、城へ持って帰るよう告げます。

チャンダカはそれを拒み、自分も一緒に連れていってほしいと懇願します。チャンダカにしてみれば、王子がいないお城へ戻ることなんてできないのです。

しかしシッダールタは、出家の志を父王に報告させるためにも、チャンダカには城へ戻るよう促します。また今まで我が子のように可愛がってきた白馬カンタカも、城へ戻し別れを告げなければなりません。

王子の固い決意に従わなければならなかったチャンダカ。
王子とここでお別れをしなければなりません。
首をうなだれて、カンタカを連れてお城に向かってトボトボと歩きだしました。

この時、愛馬カンタカの目には涙があふれていたとも、シッダールタと別れた後、悲しみのあまり胸が張り裂けて命がつきてしまったとも語られています。