第13話 ダルマスワーミン 

目を醒ました時、彼はチベットの僧侶でした。 お釈迦様のお生まれになられた、そして生涯を過ごされたインドを 一目みたくて チベットを出て巡礼の旅に就いたのでした。 チベットを出てから二ポーラという所(現在のネパール)に辿り着いて、その地域でインドの事を学んだりしている内に8年もの年月が過ぎてしまいました。 インドに行かなければ・・・強い思いを持ってインドへと束を続ける内、彼はインドの国内がインドの神や仏教の教えではなく西の世界から押し寄せてきたイスラームの波に飲み込まれていることに気がつきました。 どうみてもお釈迦様の仏像にしかみえない大きな石像の顔が削り取られてあったり仏塔が破壊されていたりするのです。

彼はだんだん悲しい気持ちになりながらも、今、インドには密教という考えがあって、インド古来の神達も諸々の仏様も共に作る世界観を勉強していると聞く。 ヴィクラマシーラという大きなお寺には大勢の人が集まって修行しているという。 ヴィクラマシーラを目指そう!との思いをなし旅を続けたのでした。

果たして、ヴィクラマシーラに辿り着いた時、彼の目の前にあったのは焼け尽くされて灰と瓦礫の山と化したヴィクラマシーラ寺院の廃墟でした。
イスラームによって破壊された寺院を見た時、彼の心には怒りの炎が起こったのです。
きっと、いつかイスラームの者どもを降伏させてやる!
彼は、もう一つの仏教修道院として名の高いナーランダ寺院へと向かいました。
幸い、ナーランダ寺院は無事に残っていました。
しかし、そこは門が閉ざされていて高い高い塀で囲まれていたのです。
彼は門をみた時、ドキッとしました。
ヒイラギの葉で丸いレリーフが作られていたのです。
これはイスラームの人達が玄関に飾る物で、「私はイスラームの信仰者です」という証なのです。
これを見た時、彼は絶望の中に立たされました。
インドに仏教はなくなった!
インドで唯一を誇ると言われたナーランダ寺院までがイスラームの手に落ちていたとは・・・
悔しくて悔しくて、いつまでも涙をこぼしていました。
その時、門の中から声が響き渡りました。

「お主はイスラームの者か?」
そうだ!と答えなければ門の中からイスラームの者が出てきて刀で殺されてしまうかもしれません。
しかし、彼は怒りにあふれ
「違う!私はイスラームのような野蛮人ではない!
私の名前はダルマスワーミン!」

と大声で叫んだのです。
すると大きな扉が開かれたのです。

扉の中から出てきたのは独りの老僧でした。 インド人で衣裳からして間違いなく仏教の僧侶です。 「ダルマスワーミン お主、どこから来たのか?」

「チベットです。チベットではチョエ・ジェ・チェです。」
「それは、はるばる遠いところからよくお越しじゃ。 どうか、こちらへ入りなされ。」

「失礼ですが貴方様の名は?」
「ラーフラ・シュリーバドラ、初代のダルマパーラ師以来の因明学を学んでおる。さあさ、こちらへ。」
案内されるままに広い中庭を通っていくと途中に立派なシヴァ神の像が祀られており大勢の人が礼拝を捧げています。 反対の隅には真っ白な着物を着た人達がマハーヴィーラと呼ばれる聖者の像の前で経典を唱えている。

通された部屋に入ると奥には仏像が安置され、その前で数名の仏教僧とバラモン僧とが問答をしている。 傍らでは比丘とバラモンが力をあわせて大きな荷物を移動させている所。 様々な宗派の人達が大勢で修行し生活しているなんとも不思議な光景にダルマスワーミンは呆気に取られていました。
 「ほっほっほ、驚かれたじゃろ。ここはな、イスラームに責められ棲むところがなくなった修行者達が宗派を問わず、集まっておるんじゃ。」
ふとみると真っ黒な色のお坊さんが魚の料理を食べています。
「シュリーバドラ老師、あのものは魚を食べておりますが戒律違反でございますぞ。」
「ほっほっほ、ダルマスワーミンよ。そなたチベット出身ならば肉は食うのじゃろ。」
「はい、牛やヤクだけですが。」
「インドのバラモン達が聞いたら腰を抜かすぞ! まあ、ここにおるものは驚きもせんがな。」
「何故です?」
「それはな、戒律というものは人の為に守っているのではないからじゃよ。 我々はな、他人のことはとやかく言わん。 自分の修行のためにここへ来ておるんじゃ。 もし、我々が他人のすることに一々口出しし批判し始めたらとどのつまりイスラームの者達と同じになってしまうからの。」
「イスラームは、そんなにひどいのですか?」
「彼らは自分の宗教以外のものを決して認めん。 ここにおる者達はイスラームに寺を焼かれたり、師匠を殺されたものもおるんじゃ。」
「なんて、ひどい!」

彼が腹を立てていると突然、温厚なシュリーバドラ師が大声を上げて怒鳴ったのです。

「お前達、何をしている! 今、用いた手法はカーラチャクラタントラではないか。」
「いけませんか、シュリーバドラ様。 時空を超えて皆が平和になるための修行なのですよ。」
若い青年僧達が口々に語るのを聞きながら ダルマスワーミンは何故、それが問題なのだろうと思っているとラーフラ・シュリーバドラが 「確かにその通りじゃ。しかし、お前達が求めておるのは理想郷シャンバラを統治する第32代の転輪聖王の威力でイースラムの者達を攻撃し破滅に追いやろうとしておるのじゃろう。」 と言いました。
彼はそれを聞き、思わず 「いいではないですか、シュリーバドラ様。 あのイースラムの者達は仏像や神像を破壊し、修行する仏教徒やバラモン達を殺したのですよ。 転輪聖王の再来がおられて、すごい力を持っておられるならイースラムを追い散らしてしまえばいいではないですか!」 と叫びました。
「ダルマスワーミンよ、よく聞くがよい。そなたは仏教徒であろう。
仏教徒たるもの、何人たりとも人を恨み、人を傷つけてはならぬ。
そんなことくらいは承知しておるだろう!」

「・・・」

「しかし、シュリーバドラ様・・」
と独りの青年僧が立ち上がりました。
「降三世明王やマハーカーラ(大黒)のタントラによって仏教はインドの神々を押さえようとしたのではないのですか?」

「それは違う!敵を降伏させるためという時の敵とはな、決して目に見える敵ではないのじゃ!
他人や自分自身の心の中に棲む恐ろしい「恨みの心」のことを意味しておる。
お前達が今、なそうとしているのはまさにその退治すべき「恨みの心」から生まれつつある
行いではないか!決して、カーラチャクラ(時輪)タントラを使ってはならん!」

シュリーバドラのこの言葉を聞いた時、彼は今までの自分が恥ずかしくてたまらなくなりました。

彼は、ラーフラ・シュリーバドラ師について仏教を学ぶことを決意しました。
そして、二年半の間、師匠に付き添い、正しい仏教を伝えるために勉強をしました。
当時、13世紀のインド仏教はイースラムの圧力により風前の灯火となっていました。
インド国中にいた仏教徒の内、南の方の人達は多く、舟で海を渡りランカー島やシャム王朝へと移住していきました。
また北の方の人達はダルマスワーミンが来た道と逆を辿り、二ポーラ、チベットへと移り住むようになりました。
中インドにいた人達だけがコルカタ周辺に集まり、表にヒイラギを祀り、イースラムのふりをして仏教を細々と伝えていったのです。
この人達のおかげで後のダルマパーラン(このお話の主人公だった人)に至る迄仏教がインドに残っているのです。

ダルマスワーミンは二年半の修行を終えた後、身の振り方を迷いましたが ラーフラ・シュリーバドラ師から学んだ教えを祖国チベットの者にも伝えようとチベットへ戻ることになりました。
「お師匠様、チベットにこの因明の教えを伝えたら、またここに戻ってきて再会させていただきます。」

「ダルマスワーミンよ。そなたはよく仏教を学んだ。そうか、祖国へ帰るのじゃなぁ。うんうん。しかし、今度、お前がここに戻って来る時は、わしはもうここにはおらんじゃろう。お前はわしから学んだことをわしの弟子達に伝えてやってくれ!頼んだぞ!」

「分かりました、しかし、お師匠様、私は師匠と今生でもう会えないと思うと悲しくて仕方がありません。
何故かは分かりませんが、いつだったか、ひょっとすると前世なのか、いや未来なのかも知れませんが
前にもお師匠様と別れるのが嫌で涙をこぼしながら臨終を看取ったような気がします。
私は悲しみに暮れていましたが、お師匠様はまた、すぐ会えるとおっしゃられたような気がします。
人間とは死んだ後、再び、会えないものなのでしょうか?」

「ふふ、随分と昔の記憶が残っておったようじゃのお。わしが日本にいた頃か?それともガンジスの辺であったか?・・・」

「はっ?」

「まま、どうでもよいことじゃが・・・ともかく今生ではそなたとは会えぬ。しかし、会える場所がある。」

「お師匠様、どこですか!」

「スカーヴァティー」

「え?」

「お前の言葉でいえばデワ チェン ポ」 「そう幸せな所でまた会おう!」

彼はラーフラ・シュリーバドラ師からその言葉を聞いた途端、目の前が救いの光で覆われたような気がして・・・